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スタイル説明/サーファー

サーフィン」というスポーツの源流は、古代ポリネシア人の成人儀式だといわれている。古代ポリネシア人は、モーゼのエジプト脱出やトロイア戦争など神話の時代である紀元前2000年~紀元前1000年の頃に太平洋へ大航海に乗り出した民族で、優れた航海技術を持ち、彼らの生活・文化は常に海と共にあった。西暦400年頃には、イースター島、タヒチ、ハワイまでたどり着き、サーフィンの儀式も「波に乗って無事に海から戻ってくることができれば神から祝福されている英雄の証」として定着していたようである。やがて、サーフィンはポリネシア人の酋長をはじめ貴族階級の神聖な『勇気と権力の象徴』となり、サーフスポットは『聖地』とされるようになった。

それから時は流れて1777年。イギリスの探検家ジェームス・クックがタヒチで初めてサーフィンを目撃する。これがポリネシア人以外の民族にサーフィンが認識された瞬間だった。その後、サーフィンは主にハワイで今のカタチに進化していく。ハワイが、1843年にイギリスに占領されても、1849年にフランスに占領されても、結局、1898年にアメリカに併合されても、「野蛮だ」とキリスト教に批判されても、サーフ・スピリットは絶えることがなかった。ちなみにカメハメハ大王もサーフィンは得意だった。サーフィンが一般のスポーツとして広まるようになったきっかけは、“現代サーフィンの父”と称される英雄デューク・カハナモクによるところが大きい。カハナモクは、ハワイ出身の水泳選手である。1912年のストックホルム五輪100m自由形とリレーで金メダル。次のアントワープ五輪でも自由形とリレーで金メダル。圧倒的実力のアスリートとして注目される一方で、先祖のスポーツであるサーフィンの普及にも尽力した。

さらに1959年、ハワイが正式にアメリカの州になってからは、本格的なリゾート開発がスタート。巨大な広告装置であるハリウッドも「ハワイ」をテーマとした映画をバンバン生み出し、ハワイ文化やサーフ音楽(ビーチボーイズの「サーフィンUSA」等)と共に、マリンスポーツとして『サーフィン』は急速にポピュラー化していく。同時に、ハリウッドのあるロサンゼルス、さらにはロサンゼルスのあるカリフォルニア州全域でも、サーフ文化は定着していった。また、当時アメリカ文化の輸入に一生懸命だった日本においても、1960年代に湘南を中心に広まり、1970年代後半になると、“冬のサーフィン練習用具”として登場した『スケボー』と共にブレイク。1990年代後半にもリバイバルしている。

【代表的なブランド】
◎ローカルモーション(LOCAL MOTION)
クイック・シルバー(Quiksilver)
オーシャン・パシフィック(OP)
ガッチャ(GATCHA)
ピコ(PIKO)

【参考】
ハワイアンおよびアロハの歴史

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